
神が主であると知る(エゼキエル書 24章)
「エゼキエルは、お前たちにとってしるしとなる。…すべてが実現したとき、お前たちは、わたしが主なる神であることを知るようになる。」 (エゼキエル書24章24節) バビロンがエルサレムを包囲した日、主の言葉がエゼキエルに臨みました。それは、「不貞によってお前が汚れた…わたしが憤りを晴らすまでは、清くなることは決してない」(13節)との厳しい裁きの言葉です。神の民の罪は深く、エルサレムはどう清めようとしても無駄で、神の憤りを免れないという意味です。 エゼキエルがこの悲痛な預言をした日の夕方、彼の妻が突然亡くなります。主は、その悲しみの中でも「声をあげずに悲しめ。死者の喪に服すな」と仰せになりました。エゼキエルはそのとおりに、声をあげずに悲しみ、喪に服しませんでした。 すると、人びとが「あなたが行っているこれらの事は、我々にどんな意味があるのか告げてくれないか」と尋ねて来ます。そして、エゼキエルは、彼が声をあげずに悲しんだように、エルサレムが滅ぼされてもイスラエルの民が声をあげずに悲しむようになると預言したのです。 愛する妻の急死はエゼキエルにとって深い悲しみだったはずです。それでも、信仰によって神に応答するところで、周りの人びとに神が主であると知らせることとなりました。…
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