
神の眼差しは罪あるわたしを見守っている(ヨブ記 7章)
わたしを見ている目は、やがてわたしを見失い、 あなたが目を注がれても わたしはもういないでしょう。 (ヨブ記7章8節) 苦しんでいるヨブを見て、神も苦しんでおられるのではないでしょうか。神は憐れみの主だからです。 ヨブには神の眼差しが、憐れみと慈しみに富むとは思えなくなっています。このような経験は、私たちにもあるかもしれません。神は義なるお方ですが、私たちには罪があるからです。義なる神に見られるなら、私たちは恥じ入るばかりです。 キリストに結び合わされた私たちは、神の目を意識します。自分の歩みが御心にかなっているかを思います。日々の歩みを思えば、義なる神の眼差しを恐れることがあります。神の義しさに耐えうるほどの義が、私たちにはないからです。ヨブもまた、神が自分を見張っておられると、半ば神の恵みを疑いつつあります。 神はヨブを御心に留めておられます。その眼差しは、ヨブが期待していたように、憐れみと慈しみに富む眼差しです。しかし、苦難の大きさに、神の憐れみが見えません。そんなヨブを、神は見守っておられます。苦しむヨブと共におられます。神もヨブの苦しみに向き合っておられます。 神はわたしの生涯を、いつも慈しみの目で見ておられます。神は私たちを見放すことも、突き放すこともされません。罪ある者にも神の眼差しは温かいからです。 【祈り】…
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