
今日こそ主の御業の日喜び祝おう(詩編 118編)
今日こそ主の御業の日。 今日を喜び祝い、喜び躍ろう。 (詩編118編24節) 信仰者は、聖書の中の「今日」という言葉を、自らの「今日」と重ねます。この詩編の「今日」(24節)も、この詩編の内容が、信仰者たちの体験と重ねられて理解されてきました。 そして、この詩編は、そのような「今日」に「家を建てる者の退けた石が隅の親石となった」(22節)と語ります。「隅の親石」とは、建物の壁の基礎を石で組む際、四隅にあたる部分に据える要石を指します。ここでは、役に立たないと判断されて、建設者たちが見捨てた石が、実は要石として用いられたというのです。 これは、不可能と思われたエルサレム神殿の再建が念頭におかれていると考えられます。バビロンから帰還した捕囚の民は、瓦礫の山となっていた神殿跡に、新たな神殿の基礎が据えられるのを見て、涙を流し、喜びました(エズ3章12節)。 そのような、歴史において実現した主の御力による驚くべき体験をとおして、信仰者たちは、絶望を希望に変え、不可能を可能にしてくださる主への信仰を深めていったのです。 そして、新約聖書は、この「隅の親石」こそ、イエス・キリストであり、十字架こそ主の救いの御業であると語ります。絶望を希望に変えてくださる主に信頼し、今日、主の救いの御業をほめたたえましょう。 【祈り】…
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