
私たちの内に生きている主とその教理(ヘブライ人への手紙 6章)
だからわたしたちは、…基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。 (ヘブライ人への手紙6章1節) キリスト教の初歩はどこにあるか、と聞かれたら、私たちは何と答えるでしょうか。かつて『キリスト教初歩教理問答』で教えられたことを思い出す方もおられるでしょう。 当時のキリスト教会においても、一定の教理が教えられていました。ところが、この手紙の背景には、一度キリストを告白しながら、古い儀式的宗教に逆戻りしてしまう傾向のある人たちがいました。そのような霊的な危険において、教えの全体を再吟味する余裕はありませんでした。何を第一にするでしょうか。それは、前に教えられたとおり、大祭司イエス・キリストのもとにある救いから目を離さないでいることです。なぜなら、キリストがただ一度十字架の上で成し遂げられた贖いのゆえに、キリストを予表した儀式も祭りも廃止されたと言えるからです。天の王座に着かれたイエス・キリストの執り成しの中に生きることに留まることを、手紙の全体において一貫して教える理由がここにあります。…
The skinny
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