
もしも主が私たちの味方でなかったなら(詩編 124編)
主をたたえよ。 主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。 仕掛けられた網から逃れる鳥のように わたしたちの魂は逃れ出た。 (詩編124編6節~7節) きょうの御言葉は、「『もしも主が私たちの味方でなかったなら。』さあ、イスラエルは言え」(1節・新改訳2017)と、問いかけます。私たちは、きょう、どのように、この問いかけに答えるでしょうか。 そもそもイスラエルとは何でしょうか。それは、国名というよりも、ヤコブが神と人と闘って勝ったときに、神から与えられた名(創32章29節)であり、それは契約の民を指すものです。今や私たちも契約の民とされています。それは、神と人間の間の恵みの契約の仲保者である主イエス・キリストの贖いのゆえに、私たちの罪が赦され、神の救いの約束にあずかる者とされたからです。とすれば、まったく私たちの側に誇るものは何もなく、罪の縄目から解き放たれたのも、ただキリストの恵みによるものです。 「もしも主が私たちの味方でなかったなら」。もしもキリストが十字架の上に死んでくださらなかったなら、今日、神の前に生きる命は存在しないのです。実に、「主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。仕掛けられた網から逃れる鳥のように、わたしたちの魂は逃れ出た」のです。なんという、喜び、光栄でしょうか。この救いの喜びこそ、主の教会の感謝であり、信仰の告白です。 【祈り】…
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