skinny.

Latest / リジョイス聖書日課

神に愛されるという信仰的な現実(ヨブ記 14章)

どうか、わたしを陰府に隠してください。… しかし、時を定めてください。 わたしを思い起こす時を。 (ヨブ記14章13編) ヨブは、神がヨブを懲らしめることの不合理さを申し立てるにあたり、人間という存在の弱さを強調します(1、2節)。神がとりたてて懲らしめたりしなくても、放っておけばいずれはしおれる。切られたところから若枝が芽吹き命を繰り返すという、樹木のような性質はない(7~10節)。それが人間だ、と言うのです。 そこでヨブは、神がヨブへの懲らしめをやめ、むしろ死後も共にいてくださればよいのにと空想します(13~17節)。ヨブの苦悩は、妻にも(2章9節)、友人たちによっても慰めを得られない孤独という、陰府に下るにも等しいほどの苦痛でした。ヨブはこれ以上ない苦痛の中で、神に「御目を…そらせてください」(6節)と願いつつ、同時に神に愛され大切にされたいとも夢見る矛盾を抱えて、呻きました。しかし結局ヨブは、神に愛される望みなど既に絶たれているのだと合点します(18~22節)。空想によっては、救いを得ることができなかったのです。 「神に愛される」という救いは、儚い空想に過ぎないのでしょうか。いいえ。それは聖書が示す、目に映らない信仰的な現実です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハ3章16節)。この現実を信じて、神と共に生きましょう。 【祈り】…

The skinny

The skinny isn't ready yet — notes appear once the transcript is processed.