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リジョイス聖書日課
リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。
Episodes
リジョイス聖書日課わたしは復活であり命である(ヨハネによる福音書 11章1-44節)
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 (ヨハネによる福音書11章25節~26節)…
リジョイス聖書日課わたしは良い羊飼いである(ヨハネによる福音書 10章11-18節)
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。…わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 (ヨハネによる福音書10章11節~15節)…
リジョイス聖書日課わたしは門である(ヨハネによる福音書 10章1-10節)
わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。…わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。 (ヨハネによる福音書10章9節~10節)…
リジョイス聖書日課わたしは世の光である(ヨハネによる福音書 8章12-20節)
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」 (ヨハネによる福音書8章12節)…
リジョイス聖書日課これはわたしの愛する子。これに聞け(マルコによる福音書 9章2-9節)
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。 (マルコによる福音書9章7節~8節)…
リジョイス聖書日課わたしは命のパンである(ヨハネによる福音書 6章22-59節)
そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」 (ヨハネによる福音書6章34節~35節)…
リジョイス聖書日課神に訴えるヨブ(ヨブ記 8章)
いつまで、そんなことを言っているのか。 あなたの口の言葉は激しい風のようだ。 (ヨブ記8章2節) ヨブの言葉を聞き、ビルダドは、「激しい風のようだ」と言いました。止めどなく湧き出る強い口調から、ヨブの苦悩が伝わってきます。…

リジョイス聖書日課真実の祈り(ヨブ記 6章)
神よ、わたしの願いをかなえ 望みのとおりにしてください。 神よ、どうかわたしを打ち砕き 御手を下し、滅ぼしてください。 仮借ない苦痛の中でもだえても なお、わたしの慰めとなるのは 聖なる方の仰せを覆わなかったということです。 (ヨブ記6章8節~10節)…

リジョイス聖書日課あえてひとこと言ってみよう(ヨブ記 4章)
テマン人エリファズは話し始めた。 あえてひとこと言ってみよう。 あなたを疲れさせるだろうが 誰がものを言わずにいられようか。 (ヨブ記4章1節~2節) 嘆くヨブを慰めようと、友人のエリファズが語り始めます。しかし、人を慰めるのは難しいことです。…
リジョイス聖書日課罪人が招かれる宴席(マルコによる福音書 2章13-22節)
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 (マルコによる福音書2章17節)…
リジョイス聖書日課わたしの生まれた日は消えうせよ(ヨブ記 3章)
やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、言った。 わたしの生まれた日は消えうせよ。 男の子をみごもったことを告げた夜も。 (ヨブ記3章1節~3節)…
リジョイス聖書日課幸福も不幸も(ヨブ記 2章)
ヨブは答えた。 「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」 このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。 (ヨブ記2章10節)…

リジョイス聖書日課この喜びを一緒に喜んでくれ(ルカによる福音書 15章25-32節)
「すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」 (ルカによる福音書15章31節~32節)…
リジョイス聖書日課立ち帰る者を条件もつけず迎える神の愛(ルカによる福音書 15章20-24節)
「父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』」 (ルカによる福音書15章22節~24節)…
リジョイス聖書日課神に立ち帰るときにあずかる本当の自由(ルカによる福音書 15章11-20節)
「『ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。」 (ルカによる福音書15章18節~20節)…
リジョイス聖書日課いちばん大切なこと(マルコによる福音書 2章1-12節)
イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」 (マルコによる福音書2章8節~10節)…
リジョイス聖書日課暗闇にいる私たちを捜し求めてくださる神(ルカによる福音書 15章8-10節)
言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。 (ルカによる福音書15章10節) 主イエスは、「見失った羊のたとえ」に続いて、ドラクメ銀貨を無くした女のたとえを話されました。…
リジョイス聖書日課見失われた私を見つけて大喜びなさる神(ルカによる福音書 15章1-7節)
「あなたがたの中に、100匹の羊を持っている人がいて、その1匹を見失ったとすれば、…見失った1匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、…『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」 (ルカによる福音書15章4節~6節)…
リジョイス聖書日課涙が枯れた世界の中で、私たちは泣く(エズラ記 10章)
エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていた。イスラエル人が彼のもとに集まり、男、女、子供から成る非常に大きな会衆ができた。この人々も激しく泣いていた。 (エズラ記10章1節)…
リジョイス聖書日課罪深い者として御前にぬかずく者の光(エズラ記 9章)
「イスラエルの神、主よ、あなたは恵み深いお方です。だからこそ、わたしたちは今日も生き残りとしてここにいるのです。御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております。」 (エズラ記9章15節)…
リジョイス聖書日課御言葉に生きる姿勢(エズラ記 8章)
わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります」と王に言っていたからである。 (エズラ記8章22節) 8章はエズラ本人が一人称の「わたし」を使って記しています。…
リジョイス聖書日課御言葉に聴く姿勢(エズラ記 7章)
彼らは第一の月の1日をバビロン出発の日とし、神の慈しみ深い御手の加護を受けて、第五の月の1日にエルサレムに到着した。エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。 (エズラ記7章9節~10節)…
リジョイス聖書日課神の御心を忘れるな(マルコによる福音書 1章40-45節)
イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」 (マルコによる福音書1章43節~44節)…
リジョイス聖書日課主がアッシリアの王の心を彼らに向け(エズラ記 6章)
捕囚の子らは、第一の月の14日に過越祭を行った。…イスラエルの神なる主を尋ね求めて、その地の諸民族の汚れを離れて来た人々も、皆、過越のいけにえにあずかった。…主がアッシリアの王の心を彼らに向け、イスラエルの神の神殿を再建する工事を支援させて、彼らに喜びを与えられたからである。 (エズラ記6章19節、21節~22節)…
リジョイス聖書日課神の目が注がれて妨げることができず(エズラ記 5章)
しかし、神の目がユダの長老たちの上に注がれていたので、彼らは建築を妨げることができず、その報告がダレイオスになされ、それに対する王の返書が送られてくるのを待った。 (エズラ記5章5節)…
リジョイス聖書日課だれが主の神殿を建てるのか(エズラ記 4章)
しかし、ゼルバベルとイエシュア、他のイスラエルの家長たちは言った。「わたしたちの神のために神殿を建てるのは、あなたたちにではなく、わたしたちに託された仕事です。…わたしたちだけでイスラエルの神、主のために神殿を建てます。」 (エズラ記4章3節)…
リジョイス聖書日課信仰共同体の改革(エズラ記 3章)
祭司たち、すなわちヨツァダクの子イエシュアとその兄弟たちは、シェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちと共に立ち上がり、イスラエルの神の祭壇を築き、神の人モーセの律法に書き記されているとおり、焼き尽くす献げ物をその上にささげようとした。 (エズラ記3章2節)…
リジョイス聖書日課帰るべき場所(エズラ記 2章)
捕らえ移された先から上って来たこの州の人々は次のとおりである。彼らはバビロンの王ネブカドネツァルによってバビロンに連行されたが、それぞれエルサレムとユダにある自分の町に帰った者たちである。…イスラエル人は皆それぞれ、自分の町に住んだ。 (エズラ記2章1節、70節)…
リジョイス聖書日課主に心を動かされて(エズラ記 1章)
主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。…そこで、ユダとベニヤミンの家長、祭司、レビ人、つまり神に心を動かされた者は皆、エルサレムの主の神殿を建てるために上って行こうとした。 (エズラ記1章1節、5節)…
リジョイス聖書日課病人をいやすイエスの権威(マルコによる福音書 1章29-39節)
夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。 (マルコによる福音書1章32節、34節)…
リジョイス聖書日課真の教師が至る境地(テモテへの手紙一 6章)
信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。 (テモテへの手紙一6章6節~7節) 「信仰によるまことの子」と呼ぶほど愛したテモテに、パウロが身をもって示すのは、偽教師ではない「真の教師」が至る境地です。…
リジョイス聖書日課魂を看取る者の心得(テモテへの手紙一 5章)
老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。…年老いた婦人は母親と思い…諭しなさい。 (テモテへの手紙一5章1節~2節)…
リジョイス聖書日課神のようになろうとする罪(創世記 11章1-9節)
彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。 (創世記11章4節) 建国記念の日は、天皇を神格化した戦前の「紀元節」を復活させたものです。戦後、象徴天皇制に変わりましたが、天皇への崇敬による国民統合のしくみは、今も続いています。…
リジョイス聖書日課感謝が増える(詩編 136編1-3節)
恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。 神の中の神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。 主の中の主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。 (詩編136編1節~3節) 老いについて、特に老いに伴う神からの恵みを見て来ました。今日は四つ目を見ます。何でしょう。感謝がますます増えることです。…
リジョイス聖書日課確信を強められる(申命記 31章8節)
「主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」 (申命記31章8節)…
リジョイス聖書日課老いに伴う恵みの豊かさ(ローマの信徒への手紙 8章28節)
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 (ローマの信徒への手紙8章28節)…
リジョイス聖書日課驚きの言葉・主イエスの権威(マタイによる福音書 21-28節)
人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。…人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 (マタイによる福音書1章22節~27節)…
リジョイス聖書日課主の大きな慈悲が疫病を終息させる(サムエル記下 24章)
ダビデはガドに言った。「大変な苦しみだ。主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい。人間の手にはかかりたくない。」 (サムエル記下24章14節)…
リジョイス聖書日課主の民にとって権威ある王(サムエル記下 23章)
エルアザルはペリシテ人に向かって立ち、手が疲れ、手が剣にはり付いて離れなくなるまで彼らを討った。主はその日、大勝利をもたらされ、彼の後に戻って来た兵士には略奪することのみが残った。 (サムエル記下23章10節)…
リジョイス聖書日課貧しい民を救い上げる主(サムエル記下 22章)
あなたは貧しい民を救い上げ 御目は驕る者を引き下ろされる。 主よ、あなたはわたしのともし火 主はわたしの闇を照らしてくださる。 (サムエル記下22章28節~29節)…
リジョイス聖書日課責任を問うことと憐れみ(サムエル記下 21章)
ダビデはそこからサウルの骨とその子ヨナタンの骨を運び、人々は今回さらされた者たちの骨を集め、サウルとその子ヨナタンの骨と共にベニヤミンの地ツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬った。人々は王の命令をすべて果たした。この後、神はこの国の祈りにこたえられた。 (サムエル記下21章13節~14節)…
リジョイス聖書日課平和を望む忠実な者の知恵(サムエル記下 20章)
わたしはイスラエルの中で平和を望む忠実な者の一人です。あなたはイスラエルの母なる町を滅ぼそうとしておられます。何故、あなたは主の嗣業を呑み尽くそうとなさるのですか。」 (サムエル記下20章19節)…
リジョイス聖書日課より確かな平和を目指して(サムエル記下 19章)
だがダビデは言った。「ツェルヤの息子たちよ、ほうっておいてくれ。お前たちは今日わたしに敵対するつもりか。今日、イスラエル人が死刑にされてよいものだろうか。今日わたしがイスラエルの王であることを、わたし自身が知らないと思うのか。」 (サムエル記下19章23節)…
リジョイス聖書日課漁師たちを弟子にする主イエス(マルコによる福音書 1章14-20節)
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。…すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。 (マルコによる福音書1章17節~18節、20節)…

リジョイス聖書日課主が定められたことが成る(サムエル記下 17章)
アブサロムも、どのイスラエル人も、アルキ人フシャイの提案がアヒトフェルの提案にまさると思った。アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである。 (サムエル記下17章14節)…
リジョイス聖書日課人々の思惑(サムエル記下 16章)
「わたしの身から出た子がわたしの命をねらっている。ましてこれはベニヤミン人だ。勝手にさせておけ。主の御命令で呪っているのだ。主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。」 (サムエル記下16章11節~12節)…
リジョイス聖書日課父と子の違い(サムエル記下 15章)
「神の箱は都に戻しなさい。わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように。」 (サムエル記下15章25節~26節)…
リジョイス聖書日課赦すことの難しさ(サムエル記下 14章)
わたしたちは皆、死ぬべきもの、地に流されれば、再び集めることのできない水のようなものでございます。神は、追放された者が神からも追放されたままになることをお望みになりません。そうならないように取り計らってくださいます。 (サムエル記下14章14節)…

リジョイス聖書日課主イエスに出会ったナタナエル(ヨハネによる福音書 1章43-51節)
ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」 (ヨハネによる福音書1章49節) フィリポはナタナエルに会って、自分が出会ったナザレのイエスこそモーセや預言者たちが書いたメシアであると言いました。ナタナエルは、ナザレのような重要でない地域からメシアが出るだろうかとフィリポに問います。…
リジョイス聖書日課秩序と平和の神への礼拝の時(コリントの信徒への手紙一 14章26-40節)
神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。 (コリントの信徒への手紙一14章33節) 真理がどこにあるのか分からない。それを真剣に問うことさえも許さないような世の中です。礼拝は、私たちをそこから目覚めさせ、真理へと引き戻してくれます。…
リジョイス聖書日課人と教会を造り上げる言葉(コリントの信徒への手紙一 14章1-25節)
しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。 (コリントの信徒への手紙一14章3節~4節)…
リジョイス聖書日課愛とは(コリントの信徒への手紙一 13章8-13節)
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。 (コリントの信徒への手紙一13章13節)…
リジョイス聖書日課愛とは(コリントの信徒への手紙一 13章1-7節)
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 (コリントの信徒への手紙一13章4節) 私はかつて、愛というものを、ケーキの様な、甘く柔らかくて、ふんわりとした、スイートなものだと思っていました。…
リジョイス聖書日課私たちはキリストの体、大切なその部分(コリントの信徒への手紙一 12章12-31節)
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。 (コリントの信徒への手紙一12章27節) 教会とは、私たちとは、何者か。それは一人ひとりが、まるで人体のように組み合わされた、多様性と一致が両立している共同体である。しかし、この言葉では足りません。それ以上のことをきょうの御言葉は語ります。…
リジョイス聖書日課オンリーワンのその先へ(コリントの信徒への手紙一 12章1-11節)
すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に、“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。 (コリントの信徒への手紙一12章6節~7節)…